-人間の完成とは -生きている時に、完全なる世界へ行ける


人間の完成とは

完成の本?とは、天以前の天であり

宇宙の本?である精と神だ

森羅万象も完成の存在であるが

完成の存在が人として?た時にのみ

森羅万象と人は完成できるのである

人は自らが?だと思っているが

自分は?像の世界に住んでいるのだから

完成そのものの存在である?でもなければ聖人でもなく

?像である??でしかない

自分が完全に死んで本?である完成の存在そのものとなり

完成に至った者がその?に生まれ?わらせ復活させ

生かしてこそ人は完成できるのである

自分が完全に死んで本物だけが?り

本物で生まれ?わってこそ?となれるのではないか

「生まれ?わる」「復活する」ということは、?物である自分の一切が消え去って

?理だけとなり、その?理によって成されるのである

その?理だけが人を?理の?に生むことができ、生かすことができるのだ

人間の完成は本物だけに?現でき

本物だけが本物の?に生かすことができる

本物だけにできることが?理である

卵にも有精卵と無精卵とがあるように

人にも?の人がいてこそ?の人を作ることができる

人は死んだら消えてしまう。?るのは宇宙だけだ

しかし神なる?理となった者は生きるであろう

本?の自分の中で?理である?魂に復活した者が

人間の完成者であり、?の人である

文と? ウ?ミョン

 

生きている時に、完全なる世界へ行ける

聖書には「天?に行くことは、ラクダが針の穴を通るよりも難しい」という喩えがある。

この言葉の意味は、人間が天?に行くのはほとんど不可能だということである。

また聖書には「心が貧しい人は幸いである。天?は彼らのものだ」という言葉もある。

ここでいう「貧しい」とは「無い」という意味であり、この言葉が?えんとするところは、

心が無ければ、本物であり本?であり神であるイエスの?に行けるということである。

だから各宗?では「心を磨きなさい」「心を無くしなさい」と?いているのである。

キリスト?その他の宗?の?いている話はみな一つである。

心が無くなってこそ、天極?に行ける。人間の心は、神であるこの世を背いている。

すなわち、神であるこの世をコピ?して自分の世界を作り、その中に生きていることが人間の罪業なのである。

この世を背いた世界を作ってそこに住んでいるから人は罪と業を背負っているのだ。

人は、罪そのものであり?像であるビデオ映像の世界と自分とを消し去ってこそ、

?像の世界であるこの世に出られ、この世と一つになれるであろう。

?理であるこの世に、人間が生きて復活する時、人間は天?に生まれ出られる。

本物が暮らす??天?に、生きている時に本物になっていない者が死んでから行くというのはまったく理屈に合 わない話ではないか。

?物は死んで無くなることがむしろ?然であろう。本物だけが本物の?に住めるのだ。

ウミョン(禹明) 韓?にて生まれる。長年にわたって生と死、人生について深い考察を重ね、1996年、?理に?して心の目を開く。同年、「マウンスリョン」を創始。現在はアメリカを中心に世界各?でセミナ?、講演等を精力的に行なっている。著書に「本物になれる所が本物だ」「生きて天の人になる方法」他多?。