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?物と本物
人?が信仰する宗?では、互いが「自分たちこそ正統で、他はみな異端であり?物である」と主張している。 ?物は、本物に似ていたとしても?物であり、本物を語っていても?物である。 本物は、本物になっていてこそ本物なのだ。
世界各地を旅してみると、同一の宗?同士の?いがあまりに多い。それぞれの宗?人たちには智慧がないようだ。一?何が本物なのか。自らが、本物である本?の?理になっていないのなら、みな?物ではないか。自らは完成しているのか。完成していないのなら?物ではないか。
?物が本物になろうとするのなら、?物である自分の心と?をすべて捨てることだ。それが本物になる方法だ。 イエスのように、十字架にかけられ自らのすべてを無くした者だけが本物になれることだろう。??でいう大般涅槃?無余涅槃?究竟涅槃に至れば、すなわち、?である自分自身の一切を余すことなく捨て去れば、罪と業がすべて無くなり復活できる。 救?とは、?物が本物になることだ。
いま本物になれず、また今日に至るまで本物になっていない所はみな?物ではないのか。
本物になる方法とは、?物である自分を捨てて本物だけとなり、本物に生まれ?わることである。 本物を語り、本物のように振る舞っていても、本物自?になっていないのならみな?物であろう。 いま自分が完成していないのなら?物ではないか。 性根を据えて直視するべき問題だ。 人が、聖書、?典、コ?ラン、ヴェ?ダ等、この世にある?典をすべて?えたとしても、その?えたものの中には?理がない。しかし、ただ自らの罪業を滅ぼせば、?理が現れ、本?の理を悟ることが出?るだろう。
文と? ウ?ミョン
ウミョン(禹明) 韓?にて生まれる。長年にわたって生と死、人生について深い考察を重ね、1996年、?理に?して心の目を開く。同年、「マウンスリョン」を創始。現在はアメリカを中心に世界各?でセミナ?、講演等を精力的に行なっている。著書に「この世界に生きずに、永遠なる幸福の?へ行って生きよう」「本物になれる所が本物だ」「生きて天の人になる方法」他多?。